チーム無責任

思ったことを無責任に綴るブログです

震災後4年目の心境

東日本大震災の日、私は免許の書き換えに行っていました。

講習を受けている最中、大きな揺れがあって全員一旦屋外に避難しました。生まれて初めて体験する大きな地震と、訓練ではなく初めての本当の避難。前日、仕事場にいた時に宮城で震度5の地震の連絡を受けていたので、2日連続での大きな地震…これはかなりヤバイのでは?と怖くなりました。が、一緒に避難していた人たちは呑気なものでした。

「昨日も宮城で震度5の地震があったそうですよ」

と一緒に避難した女性に話したら、「あらそうなのー」なんてのほほんとしていて。

避難を誘導してくださった職員の方も「こんなの大したことないですよ」とか言っていました。

えー!そんな呑気でいいの!?と危機感の無さにびっくりしましたが、私も前日の地震の連絡が無ければ同じようなものだったと思います。

だってまさか、大津波に沢山の町や人が飲みこまれるなんて想像もできませんでしたから。

一度揺れが収まると教室に戻り講習が再開されましたが、その後また揺れてもう一度避難。再度教室に戻った時に、ニュースで東北で津波が起きていると言っている、という報せを受けました。

津波…そんなの知識としてしか知りませんでした。他の人も同じ感覚なのか、津波と聞いても大騒ぎにはならず、すごいねー、くらいの感想。津波で人が死ぬという想像ができていなかったのだと思います。

そこからは、もう家まで帰るのが大変。電車は止まっているし、頑張ってバスで帰るしかない。すごく時間がかかるだろうから食べ物を買っておこうと思ってコンビニに入ったら、もう棚はガラガラ。地震から2時間くらいしか経っていないのに。

運よく家族から連絡があり、夜中になるかも知れないけど車で迎えに行く、と言ってもらえて無事帰宅はできました。

3.11の震災以来、私たちは地震にかなり敏感になっているけれど、それも今だけかもしれません。だって、関東大震災だって、阪神淡路大震災だって、大昔のことではないけれど、もう当時の気持ちのままでいる人はいません。ずっと当時の気持ちのままでいるなんて辛すぎるから、覚えていなければならないものでもありませんしね。でも、そうやって災害の記憶は風化していってしまうんですね。

最近生まれたばかりの甥っ子も、3.11で我々が経験した地震の怖さ、津波の恐ろしさを知らずに生きて、いつかその脅威に直面したとして、彼らは3.11の歴史を生かして被害を減らすことはできるのか。恐らくできないでしょう。

私たちは避難袋を用意し、避難訓練をして備えることはできますが、それでも時と共に災害に対するパフォーマンスは落ちて行ってしまうのだと思います。

こんな風に思ったのは、震災後4年目を迎えて、私の心境に変化があったからです。昨年までは、当時のことを思い出したり、被災地の人はまだ家に帰れない人がいて可哀そう…なんて考えたり、まだ心は震災の日に戻ることがありました。でも、今年からはそうじゃなくなりました。

悲しいとか、可哀そうとか、感情論が通用するのはだいたい3年くらいがいいとこなのでしょう。この先は、毎年3月11日だけ震災があった日として思い出されて、3月11日以外は全然話題にもならない、ある種のイベントとなってしまいます。実際、関東大震災も、阪神淡路大震災もそうなっています。

被災地以外の人にしてみれば、不景気だの、税金値上げだの、自分ゴトはいっぱいあるのだから、震災の被災地に目を向ける暇なんてありません。この先も、可哀そう、自分も何かしなければ、という気持ちになる理由がもはやないのです。だいたい3年くらいで、被災地に何らかの義務を果たす時効は過ぎたのです。

そうすると、被災地の人たちはどうするつもりなのでしょうか。今日もニュースでまだまだプレハブで生活しているとか、崩れそうな家に住んでいる人たちとかがいましたが、もうあの人たちに救いの手を伸ばすという風潮は薄れつつあります。自分たちで動かなければ、外側から力が働くことはまずないでしょう。

政府は復興予算というお金を持っていますが、お金を使うのが苦手な人たちばかりです。特に、被災地にいる一人ひとりの人間の生活のためのお金や補助なんて、口を開けて待っているだけでは永遠にやってくることはありませんし。

偉そうなことを言いますが、被災地の人たちは本気で頑張ってほしいです。今、何かアクションを起こさなければ、それは自分たちは今のままでいい、という意思表示になってしまうと思うのです。

新社会人に告ぐ

もう3月。卒業の季節ですね。そして4月には、新入社員がやってくる。

私は4月に新しいスタートを迎える新社会人たちにこれだけは言いたい…

『親に会社の代表電話に電話させるな!』

毎年巷では驚くような新入社員のエピソードが湧いて出ますが、私も会社の代表電話に新入社員の親から電話がかかってくるというビックリ場面に3度、出くわしたことがあります。

一度目は私の同期の親。娘の携帯電話にかけても通じない、と代表電話にかかってきました。その同期の子が携帯を失くしたか壊したかで連絡が取れなかったそうです。

二度目の電話は別の人が受けていたのを隣で聞いていたので詳細はわからないのですが、この電話のすごいところはいわゆるカスタマーサービスにかかってきたところです。せめて代表電話にかけて欲しかった…。

三度目は息子と二日連絡が取れない、というおかーたま。しかも私が受けた電話はその日2度目にかけてきたという電話でおかーさんはキレ気味でした。「先ほど確認すると言って電話を切ったのに、全然かけなおしてこないんですけど!」とな。それで先ほど『確認する』と受け答えた人に確認してみると、電話を受けたのは30分前だという。(ズコー)

いやいや、お母さん。あなたが息子さんと連絡をとれないのは100%息子さんの責任なんで。あなた方親子の取り次ぎなんて我々の仕事じゃないんですよ。本来なら「知りません」で済むところを確認するといったのは我々の親切心なのであって、本来の仕事を優先させていただきます。30分単位で対応なんかするかっつーの。

これが噂のモンペというやつなのか…?

ただね、いずれの場合も悪いのは子供の方なんですよ。親にとって、離れて過ごす我が子ほど心配なものはありません。それで連絡が取れるはずの携帯電話が繋がらなかったから、仕方なく代表電話にかけてきたのでしょう。ぶっちゃけ3度目のお母さんには、2日くらいで心配スンナ!と思ったけれど、それはまだまだ「子供」目線なんですよね。

子供からすれば、「もう大人」「もう社会人」と一人前になったつもりでも、親からしてみれば「初めて自分で飛び立つ雛鳥」にしか見えないのでしょう。そりゃぁハラハラして当然です。

だから新入社員の皆さん。親からの連絡には面倒くさがらずにちゃんと返事をしてあげてください。もしくは忙しくて疲れて連絡取れないときもあるかも、と予防線を張っておいて欲しいです。

そうでないと会社が面倒になるので。会社に面倒をかける人は社会人とは言えませんよ。

保育園は誰のためのもの?

同年代の人たちに子供が生まれるようになり、待機児童などの問題が他人ごとではなくなってきた今日この頃。最近は育児のエッセイなども読むようになり、自分も年をとったなぁ、と思ってしまう。

私も子供ができた後も働き続けるつもりだから、近い将来保育園のお世話になるだろうなぁと思っているので、もとより日本政府に期待はしていないが、それでも私が子供を産むまでに待機児童問題を何とかしてくれと願うばかりだ。

ただ、そうするとやっぱり保育園や幼稚園て親のためにあるものなのか?という疑問が湧いてきた。その考え方はちょっとレベルが低すぎやしないか。

保育園は確かに親にとっては、特に働く親にとっては便利で助かる「ツール」だ。そして待機児童が沢山いる今の世の中、保育園に入れるとなると親はありがたや、ありがたや、と涙する。これってなんだか、親は働いている間の置き場に困る子供をなんとかどこかに収めようとする、子供をモノ扱いしている感じがする。

それに保育園に入れる人を選別するなかで、家で保育が可能な場合は入れる可能性が低くなるという。それって「子育ては家でするのが基本」というスタンスの裏返しということになる。

でも保育園とか幼稚園って、子供にとってもっともっと素敵な場所なんじゃないだろうか。家族以外の人間と触れ合う場所。しかも相手は自分と対等な子供。自分を守ることも甘やかすこともしない。わがままを言われたり、我慢しなきゃならなかったり、傷つけられたり、人を嫌いになったりすることができる場所。自分の家にいては培えない社会性を身につけることができるコミュニティが保育園や幼稚園です。

施設が無い、先生になる人がいない、という理由でそういった貴重な場所に子供が入れないというのはすごくもったいない。働く親のためだけでなく、さらにその先に子供の成長のため、というゴールを設けて保育所を増やすようにしてほしいものです。国よ。

茅野カエデに暗殺されました

一応、漫画のネタバレにあたるのでご注意を。

 

 

今週の暗殺教室の展開にびっくりして、珍しく何回も読み返してます。

茅野ラスボス説は以前から伏線が張られていたそうですが、一番の伏線は先週のアニメのコレじゃないかと。

f:id:u-tu_u-tu:20150226011335j:plain

触手生えてますね。

茅野ちゃん、同じ貧乳としてとっても愛着があったキャラクターでした。シロが茅野ちゃんの名簿に永遠のゼロと書いた日から、旦那が私のことを永遠のゼロと呼びます。

しかし、私は見事に茅野ちゃんに暗殺されました。ここにきて茅野ラスボス展開とは、茅野ちゃんをアサシンに育て上げた松井先生の腕は見事です。

だって、茅野ちゃん普通にジャンプのヒロインとして成立していたんですもの。でも、実際には上手く目くらましされていたんですね。

確かに彼女は他のE組生徒に比べてキャラが薄い。でも、いつも渚と一緒にいる、カラーの表紙の時にいる、そして少年漫画には必ずヒロインがいる。それらのポジションに常に茅野ちゃんを置くことで、自然と読者は彼女をヒロインと認識する。ヒロインとういポジションにいるキャラクターならば、特別な設定のない平凡な女の子でも「そういうもんだ」と捉えがちです。特に暗殺教室の世界観からすると

殺せんせー ⇒ 主人公

渚 ⇒ 狂言回し

茅野 ⇒ 読者目線

という役割分担がしっくりきます。カルマのことを知らなかったり、木村の本名に驚いたり、文化祭に初めて参加するような口ぶりも、全て読者に解説する流れを作るためのセリフと見られるので、それと茅野ちゃんの伏線を被らせてるってすごいなー。

ちなみにヒロインという視点でいえば、主人公に深く関わっていく役どころとしては渚、女子生徒としては修学旅行編でクローズアップされる神崎さんの方がヒロインっぽいんですよね。でも「少年漫画には必ずヒロインがいる」という読者の思い込み、そしてそのヒロインとは、主要キャラとして取り上げられるキャラクターであるというお約束。そういうメタ的な視点を利用して、松井先生は茅野というアサシンを読者の目から欺いたのです。

今週の暗殺教室でびっくりしたという方は、私と同じく茅野ちゃんに暗殺されていますよ。

そんなわけで、毎週食戟のソーマを楽しみにしていましたが、来週ばかりは暗殺教室が気になって仕方ない!早く来い来い月曜日。

今日見た夢のはなし

今朝はうなされて目が覚めました。

どんな夢を見ていたかというと、学校の試験の一週間前なのに、数学の内容がひとつもわからない(「問題が」ではなく、自分が何を習っているのかわかっていなかったんです。夢の中では中学生くらいでしたが、頭では自分は社会人のままだったので)

めちゃくちゃ焦りました。一週間じゃ間に合わないよ~!!と。

またその夢の中では同時に、先月買ったザルに梅の実をたくさん並べて満足な気持ちにもなっていました。夢なので脈絡はないです。

起きた瞬間、なんであんな夢を見たんだろう~、と考えました。

おそらく試験の夢は昨夜、録画した「暗殺教室」のアニメを見て、ころせんせーがテストをつくるための参考書をたくさん積んでいるのを見たから。

梅を干した夢は、先月買ったザルをまだ包装も解かずに台所に放置しているのがストレスになっているからだと思います。

 

他人の夢の話はつまらないと嫌われますが、私は是非聞きたいと常々思っています。

ただし、雑談ではなく論理的に解説してほしい。まずは内容を順序だてて整理し、夢の中で五感が機能したか、「何」(物・人・場所)が登場したか、触ったか、暖かかったか寒かったか、自分は夢の中で感情が動いたか、視点はどうなっていたか(自分視点か第三者視点か)、そして最終的にどうしてその夢を見たのか自分なりの分析を教えてほしい。

私の場合、夢の内容は視覚的に覚えていて、絵に起こすことができます。

夢の中の人が言ったセリフも覚えているし、自分が夢の中で感じた感情もよく覚えています。

そして、印象的な夢は何年たっても忘れません。

こういう人って他にいないのかな~。他の人はどんなふうに診ているのかな~、とか気になります。少なくとも私の周りにはいないので。

 

そして夢はどうやって見るのか、メカニズムに興味があります。

夢は一日の出来事を脳が全部再生している(このプロセスを経て記憶を残す)ものだと聞いたことがあります(昔のテレビ番組で)

ということは夢って生理現象なんだ。そして夢が記憶の再生だとしたら、夢に出てくるものは自分が見聞きしたものがベースになっているわけで、ということは「変な夢みたな~」という夢は自分が無意識に注目している者がわかる貴重なヒントなんだな、というのが持論です。

夢を事細かに覚えていることが何かの役に立てないかと試行錯誤した結果、自分の夢を分析してストレスの原因をつきとめる→排除、を繰り返していけば結構ストレスフリーな人生が遅れるんじゃないかな~と思っています。