裏口にモンブラン

思ったことを無責任に綴るブログです

お正月の記憶

年末年始の忙しさは仕事と違って達成感があるので好きだ。

どんな気持ちで新しい年を迎えたいのか、そのための準備をセルフプロデュースする。こんなに楽しいことはない。部屋の隅に多少物が積み重なっていても気にしないけれど、階段と床は綺麗にしておきたい。元日の朝に、ベッドから降ろした足の裏がザラッとしていたら台無しだから。換気扇と風呂のカビ取りはマスト。窓掃除は一応ガラスの汚れを拭き取るくらいは。今年はトイレの壁の黄ばみが気になったので、クエン酸を溶かした水で吹いておいた。

子供の頃の大掃除といったら網戸の掃除と洗車の記憶が強く残っている。どちらも父に手伝わされたものだ。ワックスの拭き取りは楽しかったけど寒い屋外での作業は関節がすぐに痛んで辛かった。凝り性の父の基準に達する仕事をするのも骨が折れた。

こんなことをしたところでなんになるのだろうと子供ながらに感じてはいた。網戸の汚れが気になったことなんてないのに。ただ網戸洗いも洗車も年を重ねるごとに儀式めいたものになっていた。今年一年あちこち(といっても大体山なんだけど)連れて行ってくれた車をごしごしやるのは、労わりのマッサージのようなものだ。今年もありがとう、来年もよろしく、と。そして最後に交通安全のお守りを車につけるのだ。

我が家の大晦日の夕飯といえば決まって手巻き寿司だった。酢飯を作る以外は切って盛るだけで済むし洗い物も少なくて済む。年越しそばが控えているので、刺身の量もいつもより少なくて良いし、刺身はいくらか取っておいてお節と一緒に頂く。台所では母がギリギリまでお節を作っていて、それを手伝う時もあれば床にワックスをかけたりして、ゆっくりしていたことはなかった。テレビは紅白を付けっ放しで、森高千里だけは何がなんでも見た。プレステを買った年は父と子供でレイジレーサーをしていて母と喧嘩になったりもした。

そういえば子供の頃は紅白の結果を見届けた記憶がない。年越しそばを食べたらスキーウェアに着替えて、昔通った幼稚園まで車を走らせて除夜の鐘を突きに行った。子供の頃は、日本国民全員が除夜の鐘を突きに出かけていると思っていたけど、実は違った。

年が開けると、正月は暇でつまらないものだった。テレビもつまらない。やることもない。お節はそれほど美味しくない。時間が果てしなくゆっくり流れる。ストーブの前に寝転んでじーっとしているしかない。

夜になると、母方の祖父母の家に出かけていく。4人兄弟の母の実家にはその伴侶と従兄弟たちでギュウギュウ詰めだった。新年は必ずすき焼きで、私たち一家は遅めの到着なので酔っ払った大人たちで賑やかで、いつも煮詰まった鍋が待っていた。そこに新しくお酒と肉と野菜が入れられて、第二弾が用意される。席は空いていないので、ぎゅっと人と人との間に割って入るしかない。テレビは二台あって、いつも片方を大人が、もう片方を子供たちで見ていた。

おばあちゃんの家に来ても、正月がつまらないことに変わりはなかった。総勢8人の子供が集まっても、何々して遊ぼうぜ!とリーダーシップを取る人がいるわけでもなかったし、おもちゃもないし、大人はひたすら駅伝を見ていた。私はひたすらぼーっとしていた。そもそも人の家というのが苦手だったし、祖母の家はいわゆる汚部屋の一歩手前で常に埃が舞っていた。アレルギー性鼻炎の私にとっては地獄だった。

でも駅伝が終わると、誰ともなしに「海に行こう」と言いだす。みんなコートを着て、ぞろぞろと家から這い出していくのは今から思えば何かの群れのようだった。

最初に坂道を登って、一番見晴らしの良い場所で富士山を眺めて集合写真を撮る。それから階段を下って海に向かうというのがお決まりの流れだった。

毎年歩いても、私は海までの道を覚えられなかった。特徴の無い住宅街だったから。しかし方向音痴で地図が読めない母が道を覚えていたので、それがなによりここが母の地元なんだなと感じさせた。

祖母の家がある葉山は実は別荘が建ったりするお洒落な場所で、観光に来る人もいて、王様のブランチが取材に来たりすると知って驚いたのはだいぶ大人になってからだった。夏はウェウイウェイした人たちがヨットやサーフィンをする明るい海岸らしいが、私の知る葉山の海は寒風が吹き荒れ轟々と波が荒れる冬の海だった。

冬の海岸は海からの風が髪を巻き上げ、耳元で轟々と唸り、会話もできたものでは無い。寒い、寒いと言いながら、美しい景色もなく私たちは砂浜をぞろぞろと歩くムーの群れになる。正直、何が楽しかったのか…。砂浜から階段を上がって舗装された道に戻った時には大げさでなく安堵のため息を吐くほどだった。なんでも無い道で安らぎを感じられる様に、我々は敢えて厳しい海岸を歩いたのかもしれない。

海から祖母の家まで帰る途中では、コンビニエンスストアに入った。コンビニが珍しい時代だったから、そこに入るのは少しウキウキした。普段あまり買い食いをする習慣もなく…というか、買い食いできる店が身近に無かったので、コンビニで何か一つ、パンとか、アイスとか、肉まんとか。そういうのを買って帰るあの道が、今でも最高のお正月の思い出だ。